【偉人伝】渋谷 栄次郎[伊奈学園初代校長]

伊奈学園を辞めて随分と経つけど、頭から離れたことは一度もないな」

苦労の末に開校させた伊奈学園で過ごしたのは、わずかに3年。 それから20年以上が過ぎた今でも、あふれるほどの愛情が注がれた言葉には、伊奈学園に対する特別な“想い”が感じられる。

「意を決して準備委員長に就任したとき、用地買収できていたのは必要な土地の30%だけ。首を縦にふってくれない地主さんたちの家を、町役場の人に同行してもらいながら一軒一軒訪ねてね。 夏の暑い日にも背広とネクタイで頭を下げて回ったよ」

新しいシステムの構築も課題は山積みなうえ、ハード面の確保までもが準備委員長の仕事。まさに白紙からのスタートだった。建設が始まっても残り38%の買収はかなわず、最終的に借地として提供してもらう方法をとった。一方で生徒の募集も始まるな綱渡りのような準備期間。

さらに、最終段階で文部省の認可が得られないハプニングまであった。 4か月にも及んだ押し問答は、「陸軍士官学校で同期だった局長がいると知って、アポなしの直「談判」による口利きで解決を見た。この”士官学校”もキーワードの一つ。

「ことあるごとに壇上で話していた“天網疎にして漏らさずという言葉は、予科で演習をさぼったときに区隊長から言われたんだよ。カマをかけられたのを全部バレてると早とちりして白状しちゃったんだけど、軍隊式にえらく怒られて。『お天道様は見ている』と実感したね。 今では辞世の言葉になると思っているんだ」

伊奈学園で過ごした思い出は、やはり一期生との関わりが色濃い。開校時に完成していた校舎は現在の4〜6ハウス。 保健室はおろか、校長室もHRと並んで空き教室を使う状況だった。

「一年目の校内は建設現場そのもの。 ひどい騒音と埃で授業を受ける環境ではないし、グランドの石拾いや草取りまでさせたのは今でも申し訳なかったと思う」

何ごとでも“自分が率先して行動する〟のも信条。「自分が動かなければ周りは動かない。結果はその後についてくるもの」

ジャージ姿で管理棟のモールにモップもかけたし、得意の庭木の手入れまでした。この小さな行動力の集大成が伊奈学園を生み出したと言っても過言ではない。

Profile

渋谷栄次郎 しぶや えいじろう

全国初の総合選択制高校の構想を準備委員長として2年で具体化し、初代校長に就任。 第1回卒業生を送り出すと同時に本学を去る。埼玉県人事委員会委員のかたわら、都内・巣鴨高校の講師を務め80余人を東大に。現在も伊奈学園幹部職員による「いなほ会」にて交流が続いている。

取材年:2008年文章:ー写真:ー